該曲歌詞以和歌的七五調寫成,共有90章,介紹台灣西部縱貫鐵路都市的地名物產、舊剎古廟、名勝史蹟、史話等台灣歷史地理,為日治時期台灣總督府在學校教唱的教材。
Youtube 裡有已有中譯,可以聽聽看此曲
https://www.youtube.com/watch?v=IedLwDQXfVU
作詞 宇井英 作曲 高橋二三四
1 國光四海にかがやきて 東亞の空に覇をなせる
我が日の本の新領土 臺灣島をさぐり見ん
2 南北長さ一百里 めぐりは二百九十餘里
小島あわせて其の廣さ 九州とほぼひとし
3 山に金銀海に鹽 製茶製糖果實類
水田に稻は二度みのる げに帝國の無盡藏
4 基隆港 のあさぼらけ 登る朝日のてりそひて
輝きわたる其のながめ フオルモサの名も徒ならず
5 最北門の鎖鑰(さやく)にて 母國に渡る唯一の
要津なれば朝夕に 出船入船絶え間なし
6 いざや西部をめぐらんと 汽笛一聲進み行く
八堵七堵の次は五堵 水返脚の小市街
7 附近の山に石炭の 多く出づるを語りつつ
南港錫口(しやくかう)忽ちに はや臺北に着きにけり
8 四面は山にかこまれて 地勢京都にさも似たり
おのづからなる城壁は げに萬世のかためなり
9 君が御稜威に高砂の 浦囘(うらわ)の風もをさまりて
此處に開けし總督府 文武の機關そなはれり
10 市街の規模は宏大に 道路平坦砥の如く
下水工事に至るまで 水ももらさぬ工なり
11 幾百年後の膨脹を かねてはかりて定めたる
市區改正の雄々しさよ 想ひやるだに頼もしや
12 支線に乘りて圓山の 臺灣神社をがみつつ
基隆川をうちわたり 昔をしのぶ劍潭寺
13 夙に學者の淵藪と 稱へられたる士林には
遭難六氏の碑石あり 芝山巖頭香をとどむ
14 硫黄を出だす北投は 音に聞ゆる温泉場
湯浴みする人遊ぶひと 常に絶えずと聞くぞかし
15 左に高きは 大屯山 右に低きは 紗帽山 (しやぼうざん)
群がる山の其の奧に 秀でて見ゆる七星山 (しちせいざん)
16 江頭(かんたう)過ぎて川岸に 沿ひつつ行けば淡水港
河畔の丘にいかめしき 建物多く聳えたり
17 屋上高くひるがへる 同盟國の旗じるし
問はぬ先にも知られたり 大英國の領事館
18 三百年の其の昔 萬里の波を凌ぎ來て
武威を振ひしイスパニヤ サンチャゴ城此處に建つ
19 後に和蘭來てりしが 鄭氏代はりて此れに據る
榮枯はうつる世のならひ 英雄のあと今いづこ
20 樓に登りて見渡せば 舳艪つらねてうち集ふ
唐船(もろこしぶね)の數知らず 觀音山 下畫の如
21 此處の港を船出して 海路僅かに二百餘浬
其の日の中に對岸の 廈門(アモイ)の港に著かるべし
22 再び歸りて本線に うつれば忽ち艋舺(マンカ)驛
新店川の鐵橋も 瞬くひまにうち渡る
23 富豪林氏の邸宅の 甍(いらか)つらねて構へたる
枋橋(ハンキョウ)越ゆれば樹林なり 山仔脚經て鶯歌石 (オウカセキ)
24 鳥のかたちによく似たる 巨石はたてり山腹に
鄭軍砲を撃ちし時 頭(かしら)缺けぬといひ傳ふ
25 三角湧(さんかくゆう)は此の奧へ 一里あまりの小市街
製腦事業見ん人は 更に山路を辿るべし
26 春桃園(はるとうゑん)の樂郷に 遊ぶもうれし秋は又
大嵙崁(だいこかん)なる山奧に 奇巖を見るもおもしろし
27 蕃界近く踏入れば 兩岸けはしき谷川に
藤にて造れる吊橋の あやふくかかる所あり
28 北部諸山の生蕃(せいばん)を 防ぐためとて要所には
鐵條網を張渡し 隘勇(あいゆう)線を設けたり
29 崁仔脚(かんしきやく)をば後にして 中壢街を過行けば
四面の畑はみな茶の樹 安平鎭の製茶場
30 本島特産烏龍茶 なほも紅茶の實況を
知らんと想ふ人あらば 必ずくぐれ此の門を
31 楊梅壢より大湖口 紅毛田を過ぎ行けば
はや著きにけり新竹に 此處は昔の竹塹埔(ちくざんほ)
32 清の雍正元年に 淡水廰を置かれけり
城壁の跡猶殘り 舊刹古廟亦存す
33 市街の西方約半里 尖筆山のいただきに
北白川の宮殿下 御露營ありし遺蹟あり
34 新埔は蜜柑の本場にて 北埔に椎茸多く出づ
香山中港過ぎぬれば 次は造橋後壟(ろう)よ
35 後壟溪の鐵橋を 渡れば此處は苗栗ぞ
石油の産地出礦坑 此れより四里の奧にあり
36 銅鑼灣、三叉河、後里庄 米の産地と名も高き
葫蘆墩(コロトン)驛の近傍に 製麻會社を見て行かん
37 此處まで數里の其の間 地勢嶮岨の其の上に
大安、大甲二溪あり 箱根のトンネル想ひやる
38 林投編みて作るてふ 淡水帽の産地なる
大甲、通宵、宛里など 海邊に近き土地にあり
39 潭仔けん(土+乾)經て其の次は 中部一なる臺中よ
清朝かつて此の土地に 臺灣府をば置きたりき
40 明治四十一年に はじめて成りし鐵道の
全通式を舉げたりし 此處の公園眺めよし
41 陶器を出す南投へ 輕便鐵道敷かれたり
本島無二の別天地 埔里社はなほも奧と聞く
42 流石に猛き霧社蕃も かく首の刄うちすてて
厚きめぐみを慕ひ來る 蕃産物の交換所
43 日月潭 の勝景は 蓬莱山もよそならず
緑のかげには鳥歌ひ 瑠璃の水には魚躍る
44 烏日(うじつ)過ぐれば大肚なり 米の集散おびただし
此處に河あり大肚溪 水に遊ぶは水牛よ
45 龍車に向かふ蟷螂が 斧を微塵に碎かれし
彰化の東八卦山 中臺平野一ながめ
46 茄苳脚(かとうきやく)の其の次に バナナ朱欒(ザボン)の産地なる
員林過ぐれは社頭なり 田中央 (でんちゆうおう)經て二八水(にはちすい)
47 全島一の大河とて 音に聞こえし濁水溪
大雨(だいう)至れば忽ちに 平野變じて海と成る
48 林内(りんない)過ぎて車窓より かすかに見ゆる新高の
山の高きは日本一 明治の帝(みかど)名を賜ふ
49 雲林今は斗六街 土匪のさわぎに大方(おほかた)は
兵火の災に罹りにき 他里霧(たりむ)の次は大埔林
50 打猫の西方三里なる 北港街の媽祖宮は
四方の信仰厚きこと 本島一と聞こえたり
51 林爽文(りんさうぶん)の騒亂に 時の帝が住民の
義勇嘉してつけられし 嘉義のほまれは碑に殘る
52 此處に至らば農會の 苗圃(びようほ)に足を運ぶべし
小河めぐれる丘の上 見渡すかぎり檳榔子(びんろうじ)
53 大森林の阿里山 は 此れより數里奧にあり
枝を交ふる木々の蔭 晝猶暗ものすごし
54 鐵道線路の右側に 立つる目標見おとすな
北囘歸線此のあたり はや熱帶の客と成る
55 此れより南部おしなべて 甘蔗の畑打ち續き
製糖會社そ此處こに 煙突高く競ひ立つ
56 水堀頭より後壁寮(かうへきりよう) 鹽水港の市街あり
布袋嘴(ほていし)よりは 鹽産す
57 林鳳營 經て 蕃仔田 灣裡(わんり)を過ぎて 新市街
大目降は此の東 糖業試驗所設けらる
58 南部のみやこ臺南は 本島中にふるくより
開けし地とて人多く 名所舊蹟亦多し
59 陸軍衞戍病院は 和蘭人の築きたる
赤崁樓 (せきかんろう)のありし跡 三層樓閣聳えたり
60 鄭成功を祀りたる 延平王の祠(やしろ)あり
領臺以後に改めて 開山神社と稱せらる
61 義烈壯烈母刀自の 大和魂受継ぎて (栗原郡民註 鄭成功の
社稷の為に竭(つく)したる 君が譽は千代朽ちず 母堂は邦人、平戸の田川氏)
62 魁斗山上(かいとさんじやう)五妃の墓 寧靖王のきさきたち
操まもりて此の土地に 果てぬと聞くもあはれなり
63 全臺首學と記したる 大成殿の建物は
公學校に充てられて 今猶吚唔(いご)の聲を聞く
64 僭して此處に臺灣の 王と名のりし朱一貴が
住みし昔の宮居あり 今法院を此處に置く
65 そぞろに涙其のかみを しのびまつるも畏しや
北白川の宮殿下 此處にみ罷り給ひけり
66 君の敕(みこと)をうけたまひ 近衞の兵をひきつれて
島を平らげ給ひたる 親王(みこ)のみいさを忘るなよ
67 名は安平と聞こゆれど 港次第に埋もれて
大船岸につながれず 風波を凌ぐ便りなし
68 赤崁城趾大榕樹 遙か沖よりながめらる
海を行くひと此の樹をば 目當てとなして往來す
69 此れより海路五十二浬 澎湖島なる媽宮港
みなとの内は水深く 大艦巨舶泊(とど)むべし
70 更に汽車にて中洲庄 車路けん(土+乾)過ぎて大湖街
半路竹(はんろちく)經て阿公店 橋仔頭より 楠仔坑(なんしかう)
71 東北指して行くときは 蕃薯(いも)に名を得し蕃薯寮 (ばんしよれう)
樟腦出だす甲仙埔 急ぐ旅とて立寄らず
72 舊城(きゆうじやう)過ぎて打狗港(たかおかう) 縱貫鐵道此處に盡く
商船常に輻輳し 百貨は日々に山を爲す
73 なほも支線に乘りかへて 三塊厝 (さんかいせき)を通り過ぎ
をんらい(パインアップル)出づる鳳山に 曹公圳 を探るべし
74 後庄越えて九曲堂 一里東に 阿緱街
下淡水の河口に 東港といふ港あり (栗原郡民註 海軍要港ありき)
75 此れより五里の海上に かすかに見ゆる小琉球
長さは一里幅半里 何れの家も鹿を畜(か)ふ
76 枋寮 枋山 楓港と 海邊の路を辿り行く
山はせまりて海をせめ 波は激(げき)して岩を噛む
77 車城に注ぐ四重溪 其の川上の石門は
兩岸いはほそば立ちて 恰も門の状(さま)をなす
78 明治七年我が軍が 頑強なりし牡丹社を
劇(はげ)しく攻めし所なり 途に記念の碑を探れ
79 皇澤日々に霑(うるほ)ひて 學びの庭に蕃童が
われ劣らじと集ひ來て 御國言葉の花ぞ咲く
80 氣候はいつも暖かに 春の如しと聞こへたる
恆春街にいたりなば 求めて來たれ胡蝶蘭
81 此處にて西部はてぬれば 海路東岸さぐらんと
たよりを待ちて海濱の 大板轆(だいはんろく)を船出せり
82 バシイ海峽隔てたる ルソンと遙か相むかふ
最南端の鵞鑾鼻(がらんび)に 大燈臺を設けたり
83 鼻をまはりて北方に 船路をかへて進み行く
海上遠く紅頭嶼 雲か山かと薄がすむ
84 島のめぐりは九里あまり 太古のさまを見る如き
いとあはれなる蠻民(ばんみん)が 二千許りも住むと聞く
85 やがて卑南(ぴなん)に寄港せり 臺東一帶未開の地
天與の遺利(いり)は 其のままに 人の來たりて取るを待つ
86 黒潮に沿ひ進みつつ 次に立ち寄る花蓮港
移民の計劃歩を進め 開拓事業起りたり
87 此れより沿岸二十餘里 幾千尺の斷崖が
海にせまりて聳え立ち 船を寄すべき所なし
88 蘇澚の港に船をすて 宜蘭の平野を横ぎりて
其れより山路分け入らば 深坑(しんかう)地方に到るべし
89 濱邊の路を越え行けば 三貂角 (さんしようかく)は右に出づ
領臺役まつさきに 近衞の軍の上陸地
90 此れより元へ歸る道 黄金掘出す牡丹坑(ぼたんかう)
尚も瑞芳 金瓜石 (きんかせき) 寶の山は連れり
片倉 佳史,台湾鉄路と日本人―線路に刻まれた日本の軌跡,交通新聞社出版,2010年2月
中央研究院台史所,台灣總督府職員錄系統http://who.ith.sinica.edu.tw/