2025年2月1日 星期六

陳さんが来福 (2024福岡旅の一)

私たちが最後に会ったのはいつだったでしょうか? おそらく2015年だったと思います。

京子さんは「あの時は半袖を着ていたから夏だったと思う。」と言いました。彼女は書斎に行き、2015年の日記を探し出しました。9月2日の日記には、「陳さんが来福」と書かれていました。


「その日の午後4時、ホテルで会って地下鉄で櫛田神社へふるさと館見学。その後、バスで天神へ行き、海鮮居酒屋で食事をしながら陳さんと日本語でおしゃべり。何と20年ぶりだった。」ということが記録されました。

それは私たちが三回目に会った日でした。
なんと、三回目と二回目の再会の間には、二十年もの歳月が流れていたのです。

そして、今回私が福岡を訪れたのは四回目の再会でした。また、十年ぶりです。

なんと不思議なご縁でしょう。

何とも不思議なご縁です。

このご縁の始まりは長崎でした。大学最後の年、初めての海外旅行の目的地は日本の九州です。その年の夏休みに、長崎のユースホステルの近くにある地元の食堂で、店のお客さんの一人の日本人女性と出会いました。その方はとても親切で挨拶してくれて、それから、ご主人の相田さんを紹介してくれました。相田さんは英語が堪能で、紳士のような方です。そして、相田さんが私たちを長崎観光に案内してくれました。それはとても素晴らしい旅の思い出でした。その時から、相田家の兄弟と縁が繋がっていると思っています。相田さんは京子さんの兄です。初めての日本旅行でいろんな人からお世話になったこで、日本に対して特別な親しみを感じるようになりました。

それ以来、私は相田さんと毎年年末に必ずお互いに年賀状を送ります。その間、彼とその友人が台北を2回訪れ、私も長崎を2回訪れました。

前、長崎で相田さんに訪ねったとき、相田さんは私に「もし私がこの世を去ったら、末の妹があなたに知らせます」と言いました。その妹さんは京子さんです。そして、2023年の年末、京子さんから相田さんが亡くなったという知らせを受け取りました。

相田さんと知り合った一年後、相田さんの一番目の妹さんの長女の祐子さんが、台北の師範大学の語学センターで中国語を学ぶために留学してきました。私たちは語学交換のパートナーとなり、彼女が私に日本語を、私は彼女に中国語を教えました。しかし、当時の私はまだ日本語を流暢に話せず、彼女の中国語はとても上手だったので、ほとんどの会話は中国語でした。

今回の福岡訪問中に祐子さんに電話をしたところ、彼女は私に「いつの間にそんなに日本語が上手になったの?」と驚かれました。多分、彼女はいつも私と中国語で話していたため、私の日本語が上達になったことに気づいていなかったのです。

祐子さんが台湾に留学していた1年間の間に、京子夫婦と義母が台湾を訪れ、一緒に食事をしました。その日は私たちの初対面でした。

2回目の再会は、私が千葉県佐倉市にある彼らの家に泊まったときでした。おそらく金曜の夜、忠さんは東京で仕事を終え、東京駅で私を迎えてくれ、一緒に電車で帰りました。月曜の出勤時には、再び東京まで一緒に電車に乗りました。

その時、祐子さんと彼女のお母さんも京子さんの佐倉の家に来て、一緒に中華料理のレストランで食事したことが覚えています。一番、印象に残っているのは、千葉の「国立歴史民俗博物館」へ行ったことです。広大な敷地に多くの展示があり、とても興味深い場所でした。

2024年の初め、京子さんは「今年こそ台北に遊びに行きたい」と言いました。

夏に、夫婦で急にスペイン巡礼の旅に出ることを決めました。旅の途中、巡礼中の台湾人と出会い、彼らとの写真を送ってくれました。

9月に、再び訪台の予定を確認したところ、「円安の影響でスペイン旅行にお金を使いすぎたので、今年は台湾に行けない」と教えてくれました。その代わりに、福岡で会おうと誘われました。


また、忠さんが西日本新聞に投稿したスペイン巡礼について記事も送られてきました。

記事の中に、「今しかない」という言葉がありました。

「そう、今しかない」と私の心の中で思いました。来年どうなるかわからないので、時間を調整して、12月中旬に5日間の福岡へいくことを決めました。

福岡国際空港で10年ぶりに再会しました。時間の流れで、お互い年を取ったですが、それでも再会できたことの喜びは言葉で言いえないほどです。また、温かいもてなしを受けました。

私が飛行機のチケットを予約したと伝えた時から、彼らは私の訪問を楽しみにしてくれていました。そして、私の希望を確認した上で、旅行プランを立ててくれました。

私は短い滞在だったので、福岡市内を中心に観光しようと考えていました。しかし、実際には市内観光だけでなく、柳川で舟に乗り、糸島の漁港で牡蠣を楽しむなど、充実な旅行になりました。

毎日話が尽きることなく、日本のこと、過去の思い出、共通の知人の話、さらには台湾の話まで、話題が絶えませんでした。

彼らは普段の予定を調整し、私のために休みを取って、全日程付き合ってくれました。
京子さんは公民館の茶道教室と着付け教室に通っています。両方ともお休みを取りました。特に、京子さんが公民館で茶道教室を休みを取ったとき、お茶の仲間は「台湾の友達も一緒に連れてきてください。」と言われました。京子さんの友人も彼女と同じように温かく迎えてくれる人達だと思っています。

滞在時間が短いので、また、一緒にやりたいことがたくさんあります。例えば、野球の試合を見に行ったり、お茶道のことと着物の着付け方を教えてくれたりすることです。また、案内してくれたい所がたくさんあるので、私にまた福岡へ行くことを誘われました。いつか、また行きたいですね。



五日間の福岡旅行

Day 1:

  • 空港でお出迎え

  • 空港で昼食

  • 友人と小さな茶会

  • 夕食は家で鍋料理

Day 2:

  • 柳川で炬燵舟遊覧

  • 天神でクリスマスマーケットと夕食

Day 3:

  • 大濠公園、福岡市美術館、日本庭園、福岡城跡を散策

  • 天神のひょうたんで寿司料理

Day 4:

  • 糸島の牡蠣小屋で焼き牡蠣

  • Itoshimaccoカフェで友人とお茶

  • 夕方に日帰り温泉(ひなたの森)

  • ひなたの森で夕食

陳さんが来福(陳小姐來福岡)2024年五天四夜的福岡之旅之一

我們上次是何時見面的呢?

我想應該是2015年吧。


京子說應該是夏天,那時穿著短袖。

她到書房找出2015年的日記,9月2日的日記寫了一篇「陳さんが来福」 (陳小姐來福岡)。


「その日の午後4時ホテルで会って地下鉄で櫛田神社へふるさと館見学。その後バスで天神へ海鮮居酒屋で食事、陳さんと日本語でおしゃべり。何と20年ぶりだった。」(下午4點在飯店碰面,然後搭地鐵前往櫛田神社參觀故鄉館。之後,一同搭公車去天神的海鮮居酒屋用餐,和陳小姐用日語聊天,竟然是時隔20年再度見面。)


那次是我們第三次見面。原來第三次見面和第二次見面,時隔二十年。


這次我到福岡,是我們第四次見面,又隔了十年。

多麼奇妙的緣份。


這個緣份始於長崎,我和大學同學在大學的最後一年,我第一次出國。那年暑假到日本九州自助旅行。在長崎的youth hostel(國際青年旅館)的附近的日本家庭式小餐館中,邂逅了一位同樣到店裡用餐的老婦人,她介紹了她的先生相田先生給我們認識,她的先生帶我們在長崎觀光, 那是一段美好的旅行回憶。這位先生便是京子的大哥。由於第一次訪日就受到諸多照顧,所以對日本有一種莫名的親切感。


此後,我和相田先生開始了每年年底互寄賀年卡的習慣,其間他和友人來過台北兩次,我也去過兩次長崎。相田先生跟我說過,有一天我離開這個世界了,我的小妹妹會通知妳。相田先生的小妹妹就是京子。2023年底 ,京子的通知我相田先生離世的消息。


一年之後,相田先生大妹妹的女兒祐子來台北的師大語言中心學習中文,我們成為了語言交換的學伴,她教我日語,我教她中文。但當時我尚不能流利的說日語,她的中文非常的好,所以大部份的對話都是中文。此次在福岡時,打電話給她,她驚訝的問我,什麼時候日語變得這麼流利?都已經過了那麼久,我的日語當然時愈來愈厲害,因為我曾經很努力。這時,我才想起來祐子每次都是用中文跟我說話,所以我自然使用中文回答,所以她不知道我的日語程度已經有所進歩。我們有很長一段時間沒怎麼往來,所以她對我一直保留著最初的印象。


祐子在台留學的一年期間,京子和她的先生及婆婆一同來過台灣一次,我們一起用餐,那是我們第一次見面。


第二次見面是我到日本旅行時,到他們位在千葉縣的佐倉市家中小住。我想應該是在星期五的晚上,忠先生在東京上班,下班時到東京車站接我,帶我搭電車回家,星期一上班時,再帶我一同搭車回到東京。


在佐倉市時,祐子和祐子的媽媽也來到京子家中,我們一同去中餐。印象最深刻的是,我們一起去了「國立歷史民俗博物館」。這個博物館的館藏豐富,佔地很廣,非常有趣。


2024年初,京子提到這一年可以來台北找我玩了。


年中時,他們夫婦臨時決定前往西班牙的朝聖之旅,旅途中遇到了朝聖之旅的台灣人,

寄給我他們和台灣人的合照。


九月時,再次與他們確認來台時間。由於日元貶值所以西班牙之旅花了太多的錢,所以今年無法訪台,便邀請我到福岡見上一面。


同時,寄給我忠先生在西班牙巡禮投稿到西日本新聞上的文章,我看到那句話「今しかない」(就是現在)。


「對,就是現在。」我心裡這樣想。


因為太久沒見面,今年有時間不去福岡,明年不知道會如何。


我安排了12月中到福岡做一個五天四夜的小旅行。


我們再次相見於福岡國際機場,經過了十年,歲月都寫在我們彼此的臉上。但是很開心。這次又再次住進了他們家,接受熱情的款待。


在我通知訂好機票時,他們夫婦就開始期待我的到來,尋問我的意見後,為我做了旅行計畫

因為時間很短,我本來想行程以福岡市內為主。我看了一次福岡市內地圖,所以提出了福岡市美術館、福岡城、大濠公園, 日本庭園、福岡港附近的意見。另外,最愛的是日本百元商店及溫泉。但是意外的是,我的旅行不僅是在福岡市中心,還去了柳川搭船和系島漁港吃烤牡蠣。這是一個充實又愉快的旅行,我們每天有說不完的話,從早說到晚,不僅是向我介紹日本,談談過去的日子以及共同認識的人,同時,他們也對台灣感興趣,總之,我們有說不完的話。


他們各自都有固定行程,為了我請假,全程陪伴我。有趣的是,京子向公民會館的茶道教室請假時,她的朋友都說帶我一起去上課,我想京子的朋友們都跟她一樣熱情。


他們想帶我去的地方太多,還有想教我茶道及穿和服的方式,但是時間有點不夠用,希望我下次再到福岡小住。一切就看緣份吧!


五天四夜的福岡行程如下:


Day 1 

接機

機場午餐

下午友人來訪,舉行了一個表千家的茶會歡迎我的到來。

晚上在家吃火鍋


Day 2

柳川搭船遊河炬燵舟

晚上到天神看聖誕市集及用餐


Day 3

大濠公園參觀福岡市美術館及日本庭園,路過福岡城跡

晚餐天神的ひょうたん(葫蘆餐廳)吃壽司大餐


Day 4 

系島附近漁港は的牡蠣小屋吃烤牡蠣

下午Itoshimacco cafe (軟銀前棒球教練的咖啡廳) 和朋友喝咖啡

傍晚泡溫泉(ひなたの森)

溫泉區內晚餐


Day 5

送機