2025年2月13日 星期四

Taiwan Number One – 柳川で炬燵舟遊覧の旅 福岡行記 3


 ここで初めて、野球の魅力を感じました。

 朝食後、私たちはバスで天神へ向かい、そこから西鉄天神大牟田線に乗り換え、西鉄柳川駅へ向かいました。車窓から景色を眺めているうちに、約50分の道のりもあっという間のことでした。

柳川市は、過度な開発がされていない小さな町のようで、人も少なく静かな雰囲気が漂っていました。駅からさほど遠くない場所に柳川川下りの乗船場があり、私たちはそこでチケットを購入し、乗船することにしました。

 同じ船に乗っていた華人カップル——どこから来たのかは分からなかったが、中国語を話していたので華人であることは確かだった——その男性が、和服を着た彼女の写真を撮り続けていました。私も写真を撮りたかったのですが、最初はそのカップルの姿は可愛いと思っていたが、彼たちは私が写真を撮るのを邪魔していたので、次第に何とも言えない気持ちになりました。

 炬燵船には乗客が12人いました。その中に、船頭さんと忠さん、京子さんが三人だけは日本人で、他には韓国人夫婦が一組、また、私を含めて台湾人が三人で、そして中国語を話す人が五人いました。船頭さんは舟を漕ぎながら、英語で川沿いの景色や建築物について説明してくれたが、より深い話を話したいとき、日本語で解説してくれました。

 船頭さんは乗客と積極的にコミュニケーションを取りたがっていたが、客がみんな静かでした。おそらく気温が10度以下の寒さのせいで、みんな無言で足を炬燵の中にいれていました。実は、私が船頭さんと話したかったが、みんながあまりにも静かだったので、何となく遠慮していました。

 しかし、船があるあげもち屋の前に差し掛かると、乗客たちは急に元気になりました。全員が焼きたての団子を買い、温かい団子を口にすると、体が暖かくなりました。

 船頭さんは東京出身で、昨年の夏に家族と柳川を訪れた際、この町や船頭の仕事に魅力を感じました。ですから、東京に戻ってから妻と相談し、妻は彼の夢を全面的に応援してくれました。そして、彼は会社を辞め、一人で柳川に移住し、この仕事を始めました。この仕事の収入は以前よりも大幅に減ったが、自分でやりたいことをするので、とても幸せです。川沿いの小さな家を借り、月に一度東京に戻って妻と子どもに会います。それぞれの人生には、それぞれの物語があります。そして私は、そういう話を聞くのが好きです。

 船を降りた後、私は橋の上から川を眺めると、美しい船が見ました。こういう光景を目にするとテンションが高くなります。私は船を見下ろしながら写真を撮り、乗っている人たちに手を振りました。その船の乗客たちは華やかな服を着ており、おそらく貸切の船だったのだろうと思っていました。しかし、誰も私に手を振り返してくれなかったです。

 それにしても、その船の若くて背の高いイケメンの船頭さんが、笑顔で私に手を振り返してくれました。

船頭:「Where are you from?」
私:「Taiwan」
船頭:「Taiwan Number One. Baseball!!」
私(日語で):「野球ですね。」
船頭:「スゲー!日本語ができる!」

 船は次第に遠ざかっていきました。

 突然の台湾への称賛に驚き、同時に嬉しさが込み上げてきました。だが、彼が褒めていたのは台湾か、それとも台湾の野球チームですか?

 この時、私は昨年11月24日の夜のことを思い出した。台湾の野球代表チームが2024年の世界野球大会で日本代表を破り、見事優勝を果たした夜。台北の町に、まるで時間が止まったかのように人通りが少なく、皆がテレビの前で試合を見守っていました。優勝した後の1ヶ月間、台北の街中には野球優勝の喜びが溢れていました。

 多くの店が記念セールを行ったり、時には無料で商品を配ったりするところもあった。さらに、その後、台北愛樂合唱団も国家音楽ホールで野球の試合の応援歌「台灣尚勇」(台湾シャンヨン)という歌を歌いました。

《臺灣尚勇》中華隊TeamTaiwan嗆司曲

 私は驚いたのは、日本人も台湾の野球チームの実績をを褒めてくれました。もしかすると、台湾の野球選手たちは、政治家より世界的な影響力があるのではないでしょうか。ひょっとしたら、日本人は台湾の野球選手の名前は知っていても、台湾の政治家の名前は知らないかもしれないでしょう。


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