2025年2月28日 星期五

Itoshimaccoイトシマッコカフェ----福岡の旅の6

Itoshimacco(イトシマッコ)

 糸島焼カキ小屋で食事してから、JR筑前前原駅の近くにある「Itoshimacco(イトシマッコ)」カフェへ向かいました。このカフェは好子さんの家の近くにあります。午後、好子さんと一緒にコーヒーを飲む予定でした。

 好子さんは京子さんのソフトバンクホークス後援会の友人です。京子さんは、こうしたホークスファン仲間のことを「ソフトバンクフレンド」と呼んでいます。好子さんは、その名前の通り本当に親切な方でした。彼女は自宅の近くにある朝市でたくさんの新鮮な農家の野菜を買っていて、この日、私たちが糸島に来るので、帰りに順路で野菜を受け取りに行くことになりました。また、京子さんは、私が台湾から持ってきたお土産を好子さんにも分けてあげました。彼女は、京子さんの台湾の友達に会えることをとても喜んでくれて、台湾人の私にも少し興味を持っているようでした。

 なんとなく私は、京子さんの親戚のような気分でした。親戚と一緒に友人の家を訪ねるのは、台湾では中部の親戚の家に行くときくらいしかないからです。特に台北では、こういう機会があまりありません。やっぱり台北の人はちょっと冷たい人だと思っています。

 ソフトバングフレンドの仲間、二人ともソフトバンクホークスの公式後援会の会員であり、ホークスの試合が福岡PayPayドームで行われる日は、最も一番忙しい時期です。試合を一緒に観戦する仲間は三人がいて、事前に相談して指定席のチケットを購入したり、一緒に福岡ドームへ向かい熱い応援を繰り広げるのが恒例となっています。

 また、彼女たちは普段からたまに集まり、コーヒーを飲んだり食事をしたりしながら、試合について語り合い、日常の出来事を共有しています。京子さんはソフトバンクホークスの熱心なファンなので、私が福岡に滞在している間、毎日のように福岡ソフトバンクホークスに関する話題が飛び交っていました。

 ですから、京子さんは、次回福岡を訪れた際には一緒に福岡ドームで試合を観ようと熱心に誘ってくれました。チケットの手配も彼女がしてくれます。


  カフェのオーナーは田の上慶三郎さんで、かつて福岡ソフトバンクホークスの投手コーチを務めていた方です。2023年に引退した後、奥様の実家が営む老舗の衣料品店を利用し、この可愛らしいカフェをオープンしました。店内ではコーヒーのほかにも、糸島の地元特産品が販売されています。




 田の上さんは福岡では有名な人物なので、さまざまなメディアでこのカフェが紹介されており、ホークスの選手や後援会のメンバーがよく集まる場所にもなっています。田之上さん自身もコーヒーを淹れたり、料理を運んだり、非常に親切な方だと思っています。


 京子さんは田の上さんがよくお客さんとおしゃべりすると教えてくれました。特に、好子さんは常連客ですから、いつも気さくに会話を交わしたりしました。この日、彼は私たちとあまり話しませんでした。京子さんによると、多分、この日は私がいたので、遠慮していたのかもしれません。


 ただ、田之上さんは私が台湾人だと知ると、私に「你好」、「謝謝」と標準的な中国語の発音で話しかけてくれました。それ以上の会話はありませんでしたが、私は驚いて「中国語を話せるのか」と聞きました。しかし、彼は「これしか言えません」と笑いながら答えてくれました。本当にそれだけなのか? もしかしたら、もう少し話せるのかもしれません。少なくとも、彼の発音はとても自然でした。


 後で調べてから分かったのはホークスには過去に3人の台湾人選手とコーチが所属していました。2013~2014年に投手コーチを務めた郭泰源さん。2007~2016年に内野手の李杜軒さん、また、2006~2013年に投手・外野手として在籍した陽耀勳です。彼らはホークスの歴史において重要な存在であり、多くの貢献をしてきた。もしかすると、田の上さんは彼らと接する中で、簡単な中国語を覚えたのかもしれない。


 ちなみに、ホークスの歴史に欠かせないのが、王貞治さんです。彼は1995年から2008年までホークスの監督を務めました。京子さんが若い頃、「王貞治を見に行くのが夢だった!」と話していました。彼女にとって、王貞治はまさに憧れのヒーローだったのです。


 逆に、私にとって王貞治さんは不思議な人物だと思っています。彼は私と同じく中華民国の国籍を持っているのに、台湾には戸籍がありません。だから、私は彼が私と同じ国の人とは思えません。



 もしかすると私は田之上さんをびっくりさせたかもしれません。私はカフェに入って、彼が有名な元ホークスの投手コーチだと聞くと、すぐに「写真を撮りたい!」とお願いしました。写真は撮れたものの、その日はとても寒く、私は店に入った時、髪も乱れ、身なりも少しだらしない状態でした。そのせいか、自分の写りがあまり良くなかったのが少し残念でした。


 おそらく、他のお客さんはみんな彼をとても尊敬しているので、こんな風に気軽に写真をお願いすることは少ないのかもしれません。でも、私は彼のことをよく知らなかったので、遠慮なくお願いできたのでしょう。田の上さんは優しい紳士で、淡々と仕事をこなしながらも、お客さんに丁寧に接していました。


 このカフェのコーヒーはとても美味しく、私たちはここで好子さんと楽しい午後のひとときを過ごしました。


 京子さんと好子さんは、ソフトバンクホークス後援会の仲間や活動について、尽きることのない話を続けていました。私と忠さんは、その横でただ微笑みながら聞いているだけでした。やはり共通の趣味がある人同士だと、話がどんどん盛り上がるものですね。

 福岡ソフトバンクホークスの後援会メンバーにはさまざまな特典があります。例えば:チケットの優先購入&割引や会員限定のイベント参加や限定グッズや記念品のプレゼントなどです。

 京子さんは、2025年に「ソフトバンクフレンド」の仲間たちと奈良へ旅行し、さらに札幌で試合観戦をする予定だそうです。彼女は本当にホークスが大好きです。


 帰る時、田之上さんはわざわざ店の外まで見送ってくれました。そして、また綺麗な中国語の発音で「再見」と言ってくれました。


 また、いつか福岡を訪れる機会があれば、きっとこのカフェにも立ち寄ることになるでしょう。


 「再見」。


  • itoshimacco.イトシマッコカフェ

  • 前原中央2丁目2-21, Itoshima-shi, Fukuoka, Japan 819-1116

  • itoshimacco.com


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 京子さんは私の文章を読んだ後、試合の詳しい情報を教えてくれました。福岡での開幕戦が3月28日より始まります。5月20日の札幌の日ハム戦のチケットもとれています。


2025年2月27日 星期四

Itoshimaccoイトシマッコ咖啡館----五天四夜的福岡之旅之六

 Itoshimaccoイトシマッコ咖啡館的一角

離開了燒烤小屋,我們搭上電車前往下一個行程糸島市JR筑前前原站旁的系島馬可咖啡館(Itoshimaccoイトシマッコ),在好子小姐家不遠處。 我們要和京子小姐的軟銀棒球後援會的朋友好子小姐一起下午茶。京子小姐稱之為軟銀朋友(ソフトバンクフレンド)。

好子小姐人如其名,就是一位親切的好人。好子小姐在住家附近的早市買了許多新鮮的農家蔬菜,因為我們到系島旅行,所以回程就順道去拿,京子小姐也分享給好子小姐我從台灣帶來的土產。她很開心可以見到京子小姐的台灣朋友,對這位台灣人也有點好奇。我覺得我好像是京子小姐的親戚一般,一同去看朋友;在台灣時只有去中部親戚家時,才會跟著一同去訪友。在台北,我好像很久不這麼做了,有時候我真的覺得台北人比較冷漠。



她們二位同為福岡軟銀鷹棒球隊官方後援會會員,每當軟銀棒球在福岡巨蛋比賽時,就是她們最忙錄的時候,一起看比賽的朋友共有三位,她們會事先約好購買指定席的票,然後一同前往加油。她們也經常一起喝咖啡吃飯,討論球賽,分享生活。京子小姐是軟銀棒球的忠實粉絲,所以在福岡的日子裡,我每天都會聽到有關軟銀的活動,京子小姐熱烈的邀請我,下次跟她一同去福岡巨蛋看球賽,她會幫我購票。


咖啡館的老闆是田之上慶三郎,以前是日本職棒福岡軟銀鷹的投手教練,2023年引退後在妻子的老家的服裝老店的一側,經營了這家可愛的咖啡店,店裡還販售許多當地的特產。由於田之上先生是福岡的名人,所以有很多媒體都有報導這家店。同時,軟銀的選手及後援會的人經常會到這家店聚會。田之上先生會親力親為的煮咖啡送餐招呼客人,並且不時的和客人親切的閒聊。不過,田之上先生送咖啡來時,當他得知我是台灣人時,除了用標準的中文發音跟我說了「妳好」、「謝謝」之外,並沒有與我們有過多的交談。我驚訝的以為他會說中文時,他說他只會這一句。誰知道他會說多少中文?至少他的中文發音很標準。

京子告訴我,,田之上先生跟好子小姐很熟所以每次來都會過來聊天,當天也許是因為有我在,所以不好意思過來聊天。

田之上先生之所以會中文,可能是因為以前福岡軟銀職棒曾經有台灣人的球員吧。而後,我查了一下資料,軟銀球隊曾有三位台灣人,郭泰源於2013年至2014年球季擔任投手教練。另外二位球員分別為2007年至2016年間擔任內野手的李杜軒;以及2006年至2013年間曾任投手及外野手的陽耀勳。這些台灣球員在福岡軟銀鷹隊的歷史中留下了深刻的印記,為球隊做出許多貢獻。

雖然有名的王貞治則是1995到2008年軟銀的總教練。可愛的京子小姐年輕時的夢想就是去看王貞治。對我來說,王貞治就是一位神奇的人物,和我一樣擁有中華民國護照,卻未曾在台灣設有戶籍,我並不認為他和台灣有關係。



然而,也許田之上可能是被我嚇到了吧!我進入店裡後,一聽說他是有名的棒球教練,就立刻要求跟他照相,相片是照了,可惜的是那天很冷,風塵僕僕進入咖啡館時,我的樣子很邋遢,所以我的部份拍的不好看。 可能其他人都很尊敬他吧!不會這樣要求吧!我不認識他,所以沒有心理負擔吧!田之上先生的感覺就是一位很溫和的紳士,怡如其份的做著他的工作。


這裡的咖啡很好喝,我們和好子小姐在這裡度過了一個愉快的午後。好子小姐和京子小姐聊了許多有關於軟銀後援會的朋友及活動話題,我和忠先生只能在一旁陪著。有共同興趣的人在一起時,總是有聊不完的話題。


福岡軟銀鷹棒球隊的後援會的會員有很多福利,諸如購票優惠;即優先購買比賽門票,並享有折扣。可以參加會員限定的球隊活動,如見面會、簽名會等,及可以獲得限量的球隊周邊商品或紀念品。2025年京子小姐會和軟銀之友到奈良旅行,並且去札幌看球賽。


當我們要離去時,田之上先生送我們出去,當然用標準的中文說「再見」。

有緣的話,應該還會再去吧!





  • itoshimacco.イトシマッコ咖啡館

  • 前原中央2丁目2-21, Itoshima-shi, Fukuoka, Japan 819-1116

  • itoshimacco.com

2025年2月22日 星期六

柳川「グロット」バー Bar Grotto 福岡旅行の5

「グロット」バー Bar Grotto 

——映画「柳川」のロケ地:ニー・ニーの職場——


 「御花」を出た頃には、すでに食事の時間を過ぎていました。ちょうどお腹が空いていたところ、「グロット」というバーを見つけたので、入ってみることにしました。






 お店のマスターは60歳くらいの優しそうな男性で、笑顔で温かいお茶とおしぼりを出してくれました。店内はとても静かで落ち着いた雰囲気をしていました。木製のテーブルや椅子、インテリアの温もりが心地よく、安心感を感じされています。



 マスターは「お昼の日替わり膳」を勧められて、私たちは全員「お昼の日替わり膳」を注文しました。料理はすべて手作りで、とても美味しかったです。マスターはとても親切で面白く、少し照れ屋なところもありました。ここでのんびりして、楽しい午後を過ごしました。



食後、コーヒーを追加注文しました。マスターはサイフォンで丁寧に淹れてくれ、寒い冬の日に温かいコーヒーを飲むのは本当に幸せでした。



 美味しい食事を楽しみながら、マスターとおしゃべりをしました。マスターは私が台湾から来たことを知り、私のことは「テレサ・テンに似てね!」と言われました。私はそんなに似ているとは思いませんが、もし共通点を挙げるなら、丸顔くらいでしょうか。日本で、いままで何度も日本人から「テレサ・テン」の話を聞いたことがあります。きっと、日本の年配の方々にとって、テレサ・テンは台湾を象徴するひとりでしょう。

 日本の人々にとっては、「台湾」のイメージとはどんなものなのでしょうか? もしかすると、私と出会ったことも、ご主人の台湾イメージがまたひとつ増えたかもしれません。

 ~2024年の冬のある日に、「グロット」を訪れていたある台湾人女性です。その方は日本人の友人と一緒に来て、「お昼の日替わり膳」を頼んで、日本語で会話をしていた台湾人です。


おしゃべりしているうちに、ご主人が映画の記事を見せてくれました。

 「グロット」は中国映画**『漫長的告白』**(日本語の題名は『柳川(Yanagawa)』)のロケ地のひとつでした!マスター自身も映画に出演しており、後日その映画を観てみると、彼が二度登場していたことがわかりました。一度はカウンターの中で店員役として、もう一度はカウンター席でお客さんとして映っていました。

 もしマスターに「映画の中での登場マスターの姿をちゃんと見つけましたよ!」と伝えたら、きっと喜んでくれるでしょう。

 映画の中に、ヒロインの中国の女優ニー・ニーさんはこの店の歌手役を演じて、役名は「柳川」で、この町の名前と同じです。おそらく福岡観光局が柳川の観光を宣伝するために制作した映画でしょう。映画公開後、多くの中国人観光客が柳川を訪れるようになり、「グロット」にもよく立ち寄るそうです。私たちが食事をしていたときも、韓国や香港からの観光客に出会いました。ご主人は映画のスチール写真を見せながら、「ここがニー・ニーさんが座っていた席ですよ」と教えてくれ、私たちもそこで記念写真を撮りました。

 私は「グロット」の雰囲気やマスターの人柄がとても気に入りました。しかも、ここではリラックスできる感じがしました。また、柳川を訪れる機会があれば、きっとこの店に寄ると思います。


「グロット」Bar Grotto
📍 福岡県柳川市鬼童町1-5 2F


柳川「グロット」小酒館Bar Grotto--五天四夜的福岡之旅之五

電影「漫長的告白」--倪妮的工作地--

離開「御花」後,已經過了用餐時間,看到一間餐廳「Bar Grotto」小酒館,只是餓了,就決定進去看看是否還可以用餐。








咖啡館的老闆是一位六十歲左右的男士,笑咪咪的給我們熱茶及擦手巾,室內的環境非常的安靜沈穩,原木做的餐桌椅及擺飾令人覺得安心。








老闆建議我們點今日特餐,所以三人都點了今日特餐,所有的食物都是現做的,非常美味了。老闆親切有趣,又有一點靦腆,我們在這家店度過了一個愉快的午後。





餐後我們加點了咖啡,老闆用虹吸式咖啡壺替我們煮咖啡,喝上熱熱的咖啡在寒冬裡,感覺真的很幸福。








我們愉快的用餐享用美食之際,老闆過來跟我們閒聊,知道我來自台灣後,老闆說我很像鄧麗君,我覺得是不像,如果有共通點就是臉圓圓的。有趣的是,這不是我第一次在日本聽到日本人向我提起鄧麗君,也許對很多年長者來說,鄧麗君也是台灣的代表人物之一吧。究竟日本人的心中的台灣是什麼樣子?也許今天遇見我,對台灣又增加了一個印象吧 ! 2024年冬天,店裡曾經來了一位和日本朋友一起到店用餐,並且用日文聊天的台灣人。



閒聊之際,老闆拿來了一張電影宣傳海報的報紙給我們看,這家店曾經是中國電影「漫長的告白」(日文電影名為 柳川 ( Yanagawa))的拍攝場景之一。老闆亦在電影中出現,我後來看了這部電影,看到老闆在電影中出現二次,一次是站在吧檯內當服務員,一次是坐在吧檯前當客人。老闆如果知道我有認真在電影中找到他,應該會很開心吧!


電影中的女主角為中國演員倪妮,她飾演的是這家店裡駐唱歌手,女主角的名字就是柳川,和此地的地名一樣。這應該是福岡觀光局為推廣柳川市觀光所拍攝的電影吧!據說該電影播出之後,有很多中國人到柳川觀光就會到這家店用餐,我們在店內用餐時,也偶遇了韓國和香港的觀光客。老闆向我們介紹電影劇照中女主「倪妮」的位置,我們也在那裡拍照。


我很喜歡這家店的氛圍和老闆,在這裡可以完全的放鬆,如果有機會再訪柳川,也許我還會去。



「グロット」Bar Grotto

福岡県柳川市 鬼童町1-5 2F




「御花」柳川藩主立花家の邸宅——福岡の旅 4

 

「御花」という江戸時代の柳川藩主・立花家の邸宅です。

ここは、第五代柳川藩主は側室や子どもたちのために設けた住まいで、敷地の中に、広大な日本庭園があり、四季折々の花が咲き誇ることから、「御花」と呼ばれるようになりました。

私たちは川下りの船を降りた所の近くに、柳川藩主立花邸「御花」があります。入場券を購入してから、見学します。敷地の中に、日本料理の料亭旅館があり、食事や宿泊ができます。さらに、綺麗な日本庭園、お土産の売店や立花家史料館もあります。

このような日本庭園は何度も見ったことがあるので、それほど感動はしませんでした。しかし、日本の歴史文化に興味がある方にとって、「御花」で味わうことができると思っています。


柳川藩主立花邸 御花

福岡県柳川市新井町1


「御花」柳川藩主立花家的府邸--五天四夜的福岡之旅之四

「御花」位在遊川船上岸的不遠處,是江戶時代柳川藩主立花家的府邸。第五代柳川藩主立花貞俶將側室和子嗣們的居所,其內有佔地極廣的日式庭院,因為四季種著不同的花卉,逐被稱之「御花」。



柳川藩主立花邸內,除了可以購票入內參觀,庭園內有一座料亭旅館,可用餐及住宿。此外,尚有賣紀念品的店及立花家史料館


我們也入內參觀,可惜的是我可能看太多這類的日式庭園,所以沒有太大的感動。對日本歷史文化感興趣的人,還是可以入內參觀。


「御花」柳川藩主立花家的府邸地址:

福岡県柳川市新井町1


2025年2月13日 星期四

Taiwan Number One – 柳川で炬燵舟遊覧の旅 福岡行記 3


 ここで初めて、野球の魅力を感じました。

 朝食後、私たちはバスで天神へ向かい、そこから西鉄天神大牟田線に乗り換え、西鉄柳川駅へ向かいました。車窓から景色を眺めているうちに、約50分の道のりもあっという間のことでした。

柳川市は、過度な開発がされていない小さな町のようで、人も少なく静かな雰囲気が漂っていました。駅からさほど遠くない場所に柳川川下りの乗船場があり、私たちはそこでチケットを購入し、乗船することにしました。

 同じ船に乗っていた華人カップル——どこから来たのかは分からなかったが、中国語を話していたので華人であることは確かだった——その男性が、和服を着た彼女の写真を撮り続けていました。私も写真を撮りたかったのですが、最初はそのカップルの姿は可愛いと思っていたが、彼たちは私が写真を撮るのを邪魔していたので、次第に何とも言えない気持ちになりました。

 炬燵船には乗客が12人いました。その中に、船頭さんと忠さん、京子さんが三人だけは日本人で、他には韓国人夫婦が一組、また、私を含めて台湾人が三人で、そして中国語を話す人が五人いました。船頭さんは舟を漕ぎながら、英語で川沿いの景色や建築物について説明してくれたが、より深い話を話したいとき、日本語で解説してくれました。

 船頭さんは乗客と積極的にコミュニケーションを取りたがっていたが、客がみんな静かでした。おそらく気温が10度以下の寒さのせいで、みんな無言で足を炬燵の中にいれていました。実は、私が船頭さんと話したかったが、みんながあまりにも静かだったので、何となく遠慮していました。

 しかし、船があるあげもち屋の前に差し掛かると、乗客たちは急に元気になりました。全員が焼きたての団子を買い、温かい団子を口にすると、体が暖かくなりました。

 船頭さんは東京出身で、昨年の夏に家族と柳川を訪れた際、この町や船頭の仕事に魅力を感じました。ですから、東京に戻ってから妻と相談し、妻は彼の夢を全面的に応援してくれました。そして、彼は会社を辞め、一人で柳川に移住し、この仕事を始めました。この仕事の収入は以前よりも大幅に減ったが、自分でやりたいことをするので、とても幸せです。川沿いの小さな家を借り、月に一度東京に戻って妻と子どもに会います。それぞれの人生には、それぞれの物語があります。そして私は、そういう話を聞くのが好きです。

 船を降りた後、私は橋の上から川を眺めると、美しい船が見ました。こういう光景を目にするとテンションが高くなります。私は船を見下ろしながら写真を撮り、乗っている人たちに手を振りました。その船の乗客たちは華やかな服を着ており、おそらく貸切の船だったのだろうと思っていました。しかし、誰も私に手を振り返してくれなかったです。

 それにしても、その船の若くて背の高いイケメンの船頭さんが、笑顔で私に手を振り返してくれました。

船頭:「Where are you from?」
私:「Taiwan」
船頭:「Taiwan Number One. Baseball!!」
私(日語で):「野球ですね。」
船頭:「スゲー!日本語ができる!」

 船は次第に遠ざかっていきました。

 突然の台湾への称賛に驚き、同時に嬉しさが込み上げてきました。だが、彼が褒めていたのは台湾か、それとも台湾の野球チームですか?

 この時、私は昨年11月24日の夜のことを思い出した。台湾の野球代表チームが2024年の世界野球大会で日本代表を破り、見事優勝を果たした夜。台北の町に、まるで時間が止まったかのように人通りが少なく、皆がテレビの前で試合を見守っていました。優勝した後の1ヶ月間、台北の街中には野球優勝の喜びが溢れていました。

 多くの店が記念セールを行ったり、時には無料で商品を配ったりするところもあった。さらに、その後、台北愛樂合唱団も国家音楽ホールで野球の試合の応援歌「台灣尚勇」(台湾シャンヨン)という歌を歌いました。

《臺灣尚勇》中華隊TeamTaiwan嗆司曲

 私は驚いたのは、日本人も台湾の野球チームの実績をを褒めてくれました。もしかすると、台湾の野球選手たちは、政治家より世界的な影響力があるのではないでしょうか。ひょっとしたら、日本人は台湾の野球選手の名前は知っていても、台湾の政治家の名前は知らないかもしれないでしょう。